薬師如来をわかりやすく説明してみた!
どんな病気でも直してしまう,
医者の中の医者のような仏,薬師如来。
皆さんも,名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
今日は,その薬師如来について説明します。
わかりやすく説明していますから,ぜひご覧ください!
1 薬師如来とは何か
薬師如来を一言で言えば「『浄瑠璃浄土(じょうるりじょうど)』を運営する仏」です。以下,詳しく説明してゆきます。
2 浄瑠璃浄土とは?
2−1 浄瑠璃浄土とは何か
まずは,浄瑠璃浄土について説明します。
過去何度か説明していますが,仏教の世界観に次のようなものがあります。①この宇宙には,無数の世界が存在する。②各世界には,一つ最大一人の仏(=悟りを開いた存在)が割り当てられていて,その世界を運営している。
例えば,以前私のブログで説明した「阿弥陀如来」は,この無数の世界の一つ「極楽浄土」を運営しています。
(以前のブログについては,下の記事をチェック!)
あるいは,われわれが住むこの世界(=シャバ)をかつて運営していたのが,お釈迦様です。
さて,この無数の世界の一つに,浄瑠璃浄土(じょうるりじょうど)があります。この浄瑠璃浄土を担当している仏が,薬師如来です。
シャバの遥か東の方角にあることから,「東方浄瑠璃浄土」とも呼ばれます。
極楽浄土がシャバの遥か西の方角にあることについては,前の記事で説明しました。ということは,シャバの西には極楽浄土,東には浄瑠璃浄土があるという位置関係になります。
※ちなみに
「浄瑠璃」というと,人形浄瑠璃を思い浮かべる方が多いかもしれませんが,語源は浄瑠璃浄土です。
人形浄瑠璃の「浄瑠璃」というのは,最初,薬師如来の霊験を物語として語ったものを指していたからです。
2−2 浄瑠璃浄土は素晴らしい世界
以前,極楽浄土は町中に金銀財宝が散りばめられた素晴らしい世界であるという説明をしました。しかし,浄瑠璃浄土も負けていません。
浄瑠璃浄土も,道路が瑠璃でできていたり,家の壁などが金銀財宝でできていたりするなど超ゴージャスな世界なのです。
お経においても「浄瑠璃浄土の功徳は,極楽浄土と差異がない」と言われています。まあ要するに,その世界のオーラはどちらも大差がなく素晴らしいということです。
3 薬師如来とは?
では,そんな素晴らしい世界の浄瑠璃浄土に住んでいる薬師如来とは,どんな仏なのでしょうか。
結論から言うと,薬師如来は「どんな病気でも治すことができる仏」です。以下,具体的に説明します。
薬師如来は「如来」つまり悟りを開いた存在ですが,彼にももちろん「菩薩」つまり修行時代がありました。
修行時代の彼は,普通の仏になるのが嫌だったのでしょう,ただ修行をするのではなく,どんな病気でも治す能力を手に入れたいなど,12個の誓いを立てた上で頑張って修行し,見事仏となったのです。
3−2 12個の誓いとは
12個の誓いは,例えばこんな感じです。
・自己流の修行をしている人がいれば,自分が正しい道に導いて,悟りを開かせる
・どんな病気になっても,私の名前を一度聞くだけで(自分で唱えてもOK)すぐに治る
・空腹ゆえ悪いことをしてしまった人に対して,最上のご飯を提供する
3−3 薬師如来は病気平癒の仏
これらの誓いのうち,特に重要視されたのが上で下線を引いたもの。要するに病気平癒です。
「薬師」つまり「薬の師」という名前自体も,この病気平癒のご利益が最重要であることを示しています。
ということで,本来は病気平癒以外にもご利益のある薬師如来ですが,もっぱら病気平癒にご利益がある仏とされるようになりました。薬師如来の別名は「医王」つまり「医者の中の医者」ですが,それもここから来ています。
4 薬師如来の見分け方
最後に,薬師如来の見分け方をお話しします。
薬師如来の見分け方はとても簡単。
手に壺を持っていたら薬師如来
です。
この壺は「薬壺(やっこ)」というもので,その名の通り薬が入っています。どんな病気でも直してしまうという魔法のような薬という設定になっています。さすが薬師如来といった感じですね。
※ちなみに
薬師如来の仏像でも,奈良時代以前の古いものは壺を持っていません。この場合,見分けるのは非常に困難です。しかし,そもそも奈良時代以前の薬師如来の仏像自体,とても数が少ないです。そのため,まずは「壺を持っているかどうかで薬師かどうかを判断する」と覚えて問題ありません。いきなり複雑に考えず,まずは簡単にいきましょう。
5 最後に
ということで,今日は薬師如来について説明しました。
病気平癒の仏,コロナ禍にはぴったりでしょう。感染対策の上,薬師如来を祀ったお寺にぜひ参拝してみてください。
それでは!
阿弥陀如来とは? (後半)
前回は,阿弥陀如来について説明していたところでした。
前回のブログをご覧になっていない方は,まずこちらの記事をご覧ください。
今日も,引き続き阿弥陀如来について説明してゆきます。
今回のブログでは,
阿弥陀如来は超ストイックな仏
であることについて説明してゆきます。
面白い話が満載ですから,ぜひご覧ください!
1 阿弥陀如来とは
前回は,阿弥陀如来が治めているとされる「極楽浄土」について説明しました。
今日は,そんな阿弥陀如来とは一体どんな存在であるのか,詳しく説明してゆきます。
最初に確認ですが,もちろん阿弥陀如来というのは架空の存在です。間違いないようにしてくださいね。
2 もと法蔵菩薩
しかし,もちろん阿弥陀如来にも「菩薩」つまり修行時代がありました。
修行時代の彼の名前は「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」です。
2 ストイックその1
2−1 とにかく考える
法蔵菩薩がとにかく頑張って素晴らしい極楽浄土を造営したことは,前回述べた通りです。
実は,極楽浄土を作る前段階として,法蔵菩薩は,自分が一体どんな世界を作りたいかじっくりと考えたのです。
今風にいうと,極楽浄土の設計図をじっくりと作成していたということです。
法蔵菩薩(のちの阿弥陀如来)のストイックさが発揮される一つ目の場面がここです。
法蔵菩薩は,なんと「五劫(ごこう)」という時間の間,ずっと考えていたのです。
2−2 五却とは
五劫とは,一却の5倍の長さの時間です。で,一却とは,次のような長さです。
1辺60キロメートルの立方体状の巨大な岩に,3年に一度天女が舞い降りて,着ている羽衣で岩の上をさっと一撫でしてまた帰る。これを繰り返して、その岩が削れて砂になるまでにかかる時間。
これが一却。巨岩を3年に1度服の袖で撫でて,最終的に粉々になるまでにかかる時間ということです。
これが一却ですから,五却というのはこの五倍の時間。
まあ,早い話,ありえないほどの長さです。
超ストイックですね。
2−3 五劫思惟(しゆい)阿弥陀如来
それだけ長い間考えていたのですから,もちろん,法蔵菩薩の髪は伸び放題に伸びます。
その髪が伸び放題に伸びた法蔵菩薩の姿は,「五劫思惟阿弥陀如来」という名称(「阿弥陀如来」とありますが,厳密には法蔵菩薩です。)で,たまに仏像の題材とされます。
この写真を見てください。これが「五劫思惟阿弥陀如来」です。
髪が伸びまくってアフロとなっていますね。
3 ストイック・その2
法蔵菩薩のストイックさはこれにとどまりません。
五却の間考えて構想を練った後,法蔵菩薩はついに極楽浄土の造営に着手します。
造営にかけた時間,これが半端ない。
なんと法蔵菩薩は,極楽浄土の造営に「不可思議兆載永劫(ふかしぎちょうざいようごう)」という時間をかけました。もはや必殺技みたいな名前です。
これがどれくらいの長さであるか,これはよくわかっていません。まあ,「永劫」とかいうくらいですから,想像もできないほどの長さであるということです。
超ストイックですね。
4 法蔵菩薩,ついに阿弥陀如来となる
不可思議兆載永劫の間極楽浄土の造営を行い,並行して修行も行い,ついに極楽浄土が完成して法蔵菩薩は悟りを開きました。
そうしてもらった名前が「阿弥陀如来」なのです。
そんな阿弥陀如来ですが,無限の寿命を持っており,今でも極楽浄土で活躍しています。
シャバのオーナーである釈迦如来(=お釈迦様)がとうの昔に亡くなってしまったのとは対照的です。
5 阿弥陀如来の見分け方
5−1 「両手とも指で輪を作っていれば阿弥陀如来」
以上が,阿弥陀如来についての話でした。
ここは仏像ブログですから,最後に仏像関係のお話をさせていただきます。
ここでは,阿弥陀如来の見分け方を説明します。
結論から言うと,基本的には
「両手とも指で輪を作っていたら阿弥陀如来」です。
例えば,こちらの仏像は阿弥陀如来です。実際に指で輪を作っていることがわかると思います。
5−2 注意点
阿弥陀如来を見分けるにあたっての注意点をお話しします。
阿弥陀如来を判別するためには,必ず
両手とも
指で輪を作ってるかどうかをみてください。片手だけ見て満足してはいけません。
なぜなら,片手だけ輪を作っている阿弥陀如来以外の仏像はたくさんあるからです。
5−3 練習問題
では,二つだけ練習問題を出してみます。わかるでしょうか。
第1問
これは阿弥陀如来でしょうか。
これは阿弥陀如来です。両手とも指で輪を作っていますから,阿弥陀如来であることがわかりますね。
第2問
これは阿弥陀如来でしょうか。
これは阿弥陀如来ではありません。確かに右手は指で輪を作っていますが,左手は輪を作っていません。(ちなみに,これは奈良市の薬師寺にある薬師如来という種類の仏像です。)
右手だけ見て「あ,輪を作っているわ。じゃあ阿弥陀如来でしょ?」と早合点しないように注意してください!
6 最後に
ということで,二つの記事にわたって阿弥陀如来について説明してきました。
長くなりましたが,お読みいただきありがとうございました。
それでは!
阿弥陀如来とは?(前半)
阿弥陀如来・・・
「阿弥陀仏」とか「阿弥陀さま」とかとも呼ばれます。皆さんも聞いたことがあるでしょう。
この阿弥陀如来が住む世界が,かの有名な「極楽浄土」です。
この極楽浄土,実は
悟りを開くための「トレーニングジム」
であること,知っていましたか。
また,この阿弥陀如来,実は
超ストイックな仏
であること,知っていましたか。
ということで,今日は,そんな面白い話満点の
について説明してゆきます!
阿弥陀如来の仏像は日本にとても多くあります。なので,阿弥陀如来を知っていれば,仏像鑑賞が楽しくなること間違いありません。
いつも通り,わかりやすく,具体的に説明していきますから,ぜひ最後まで読んでください!
1 結論
阿弥陀如来とは何か。一言で説明すると「極楽浄土のオーナー」です。以下,具体的に説明してゆきます。
2 極楽浄土
2−1 極楽浄土とは?
まずは,阿弥陀様がオーナーとして治めているという「極楽浄土」について説明します。
極楽浄土を理解するためには,仏教の世界観を理解する必要があります。
仏教においては,この宇宙には無数の世界があると考えます。そして,それぞれの世界には最大で一人の仏(悟りを開いた人)がおり,その世界を運営します。
その無数の世界の中のうち,我々が住むこの世界を「シャバ」と言い,シャバを治める仏はお釈迦様です。「シャバの飯」などという言葉で聞いたことがあるかも知れませんが,それはここから来ています。
で,極楽浄土というのも,この無数に存在する世界のうちの一つです。シャバの遥か西の方角にあることから「西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)」とも呼ばれます。
そして,阿弥陀如来は,極楽浄土を治める仏なのです(お釈迦様と異なり,もちろん架空の存在です。)。
2−2 極楽浄土はどんな世界か?
では,その極楽浄土はどのような世界なのでしょうか。
「豪華絢爛で苦しみのない世界というイメージがあるんだけど・・・」と思われた方,大正解です。
阿弥陀如来は「仏」つまり「悟りをひらいた存在」ですが,もちろん阿弥陀如来にも修行時代がありました。その時彼は,自分の師匠にこんなことを誓います。
「僕もそろそろこの世界(のちの極楽浄土)で悟りを開きますが,僕が悟りを開くからには,僕が治めるこの世界(のちに極楽浄土)を他のどこよりも素晴らしいところにしてみせます!」
そういった誓いを立て,彼は悟りを開くべく修行をするとともに,極楽浄土をどこよりも素晴らしい世界にすべく頑張りました。そして,ついに彼が悟りを開いて「阿弥陀如来」という名前に変えて,極楽浄土を治める存在となったのです。
そんなわけで,極楽浄土はどこよりも素晴らしい世界となったのです。
2−3 極楽浄土はどう素晴らしいのか?
では,具体的に,極楽浄土はどのように素晴らしいのでしょうか。
結論から言うと,以下に説明するように,素晴らしさの方向性は二つあります。①悟りを開くための設備の充実度という意味の素晴らしさと,②快適性という意味の素晴らしさです。以下具体的に述べます。
2−3−1 ①悟りを開くための設備の充実度
突然ですが,どうすれば悟りを開けるのでしょうか。
経典によって異なりますが,一つの答えは,「多くの仏を供養する(祈るといった意味)」こと。
ですからその前提として,阿弥陀如来以外にもたくさんの仏に触れる機会がなくてはなりません。
そんな観点から見たとき,極楽浄土は素晴らしい場所です。
まず,極楽浄土には,他の世界にいる仏様が説法をする声を聞くことができる装置があります。高性能集音器的なものでしょう。
また,極楽浄土には,他の世界を自由に見ることができる装置があります。高性能双眼鏡的なものでしょう。
さらには,極楽浄土には,他の世界の仏に会うために,他の世界を自由に移動することができる装置もあります。どこでもドア的なものでしょう。
これらの装置を使うことによって,他の世界の多くの仏にいつでも接触することができますから,それだけ悟りを開くのも簡単になります。
ということで,極楽浄土は,悟りを開くための設備の充実度という意味で素晴らしい世界なのです。
2−3−2 ②快適性
極楽浄土は,快適性という意味でも素晴らしいです。
まず,極楽浄土は,金銀財宝で至るところが飾り付けられています。
また,極楽浄土に行けば,人はみな美形になることができます。
さらに,極楽浄土に行けば,悪口などを聞こえなくするような装置があります。高性能AirPods的なものでしょう。
ということで,極楽浄土は,快適性という意味で素晴らしい場所なのです。
2−4 往生極楽(=死んだ後に極楽浄土に行くこと)はスタートでしかなかった
ここまでの説明を聞いて,疑問に思われた方もいるかもしれません。「極楽浄土は悟りを開くための設備が充実している」ということは,往生極楽(=死んだ後に極楽浄土に行くこと)だけでは悟りは開けないのか。極楽浄土というのは,悟りを開いた人間が行く場所ではないのか。こんな疑問でしょう。
結論から言うと,その通り。
極楽浄土は,本来,悟りを開くための場所です。ジムに入会して終わりでないのと同じように,人々は,ここに行って悟りを開くためにさらにがんばり,悟りを開きます。これこそが最終ゴールです。
ですから,極楽浄土に行くことは,あくまでスタートでしかなく,ゴールではないのです。
しかし,時代が経つに従い,上記「②快適性」の方が強調されるようになりました。極楽浄土があまりに快適な場所であるために,極楽浄土に行くことこそが最終ゴールのように考えられるようになってしまったのです。
最初はマッチョになることが目標だったのに,次第にゴールドジムに入会することが目標となってしまったようなものです。
2−5 往生極楽の方法
では,その極楽浄土はどうすればいけるのでしょうか。
方法はとても簡単。「心から極楽浄土に行きたいと願い,南無阿弥陀仏と10回くらい唱える」これでOKです。
「え,そんな簡単なの?」と思うかもしれません。はい,こんな簡単です。
そして,これも阿弥陀如来の配慮です。修行時代,阿弥陀如来は師匠に対してこう誓いを立てています。
「極楽浄土に行きたいと願って,10回くらい僕の名前を唱えてくれた人は,基本的にみんな僕の世界に来てOK!」
なので,皆さんも,心から極楽浄土に行きたいと願い,10回くらい南無阿弥陀仏(「南無」とは,「帰依します」という意味。)と唱えれば完了。あとは,皆さんが亡くなる時,阿弥陀如来が極楽浄土からシャバに迎えにきて,皆さんを極楽浄土に連れて行ってくれます。
2−6 補足
以上の説明は目から鱗のようなところも多かったと思います。特に,極楽浄土にはどこでも自由に移動できる装置があるといったあたりの説明は「何いってんの?」と思われたかもしれません。
しかし,経典には本当にそう書かれているのです(ブログの方針ゆえ,多少のデフォルメはご容赦ください)。
今まで書いたことは『無量寿経』というお経の話を元にしています。このお経が作られたのは今から2000年ほど前の紀元前後の頃とされています。そんな昔にこれほどの発想力があったのは,本当に驚きですね。
3 最後に
以上が極楽浄土の説明でした。
次に,いよいよ本論として,その世界のオーナーである阿弥陀様について説明します。
・・・が,長くなったので,極楽浄土を説明したところで,今日はおしまいにします。
続きは別の記事に書きます。そこでは,この阿弥陀如来が超ストイックであったことなども説明しますから,楽しみにしておいてください。
それでは!
奈良の大仏とは?
実は,
お釈迦様は
奈良の大仏の化身
であること,知っていましたか・・・?
ということで,今日は,みんな大好き
について説明します。
「奈良の大仏?んなの知ってるわ。寝るわ」と思ったそこのあなた。
そう言わず,ぜひ読んでみてください。目から鱗の話もたくさんあって絶対面白いです。
なんせ,仏像好きが語る奈良の大仏ですから,面白くないはずがありません。
1 「仏像=釈迦様の像」ではない
奈良の大仏について説明する前提として,よく勘違いされがちなことについて説明します。
それは「仏像=お釈迦様の像」ではないということ。
具体的には,仏像にも色々な種類があるということです。
お釈迦様というのは,言わずと知れた仏教の開祖で,正真正銘の実在の人間です。紀元前5世紀頃(諸説あり)に生きていた人間です。
一方の仏像とは「仏教における尊い存在をモデルにした像」のこと。
そして,仏教における尊い存在というのは,お釈迦様以外にもたくさんの種類があります。
ですから,お釈迦様の像が仏像の一つであることは間違いありませんが,仏像には,それ以外にも色々な種類があるのです。
例えば「お地蔵様」とか「阿弥陀様」とか「観音様」とかは,皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
これらは,全てお釈迦様とは全く別の存在です(ちなみに,ここにあげた例はいずれも架空の存在ですが,実在の人間をモデルにしたものもあります。)。
前置きが長くなりました。
じゃあ,奈良の大仏はお釈迦様の像なのかどうかが問題となります。
実は,奈良の大仏はお釈迦様の像ではありません。
「え?あれお釈迦様じゃないの?」と思った方,先を読んでください。
2 奈良の大仏
2−1 奈良の大仏は盧舎那仏(るしゃなぶつ)
では,奈良の大仏は,一体なんの種類の仏像なのでしょうか。
結論から言うと,奈良の大仏は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」という種類の仏像です。
「漢字むずいな,ふざけんな」と思った方,まあそう怒らないでください。
2−2 盧舎那仏とは
次に,その盧舎那仏について説明してゆきます。
結論から言うと,盧舎那仏は「宇宙の真理そのもの」という最強の存在。
いきなりそんな話をされても実感できないと思いますから,もう少し具体的に説明してゆきます。
仏教の世界観に,次のようなものがあります。①この宇宙には無数(10兆個)の世界がある。②一つの世界には一人の仏(つまり悟りを開いた人)がいて,その世界の人々に教えを説く。③我々が住むこの世界の担任の仏こそが,何を隠そうお釈迦様である。
10兆個とは!もはや壮大すぎてよくわかりませんね。
そして,その無数の世界によって構成される宇宙の中心にいる,宇宙の真理そのものの存在が,盧舎那仏なのです。
もはやチート級の存在であることがおわかりいただけたと思います。
2−3 お釈迦様は盧舎那仏の化身
盧舎那仏がすごいのはここから。
盧舎那仏は,その無数の世界一つ一つに対して,自らの化身として仏を送り込みます。
つまり,合計で10兆体の化身を各世界に送り込むということです。
本体は宇宙の中心でじっとしていて,実際の人々の救済は自分の化身にさせるということ。アニメにありそうな話です。
そして,化身の一人としてこの世界に派遣されてきたのが,あのお釈迦様ということ。つまり,お釈迦様というのは,盧舎那仏の化身だったのです
2−4 そういう意味では・・・
そういう意味では,奈良の大仏を見て「あれお釈迦様じゃないの?」と思ったのは,ある意味では正しいです。お釈迦様が盧舎那仏の化身つまりコピーということなので,両者の姿は同じとなるはずであるからです。
2−5 盧舎那仏は最高神ではないのか
盧舎那仏がチート級の凄さを持つことは,ご理解いただけたと思います。
そうすると次の疑問は,それならば,盧舎那仏は仏教の最高神と考えて良いか,ということでしょう。
結論から言うと,一概にそうとは言えません。
なぜなら,上で話した一連の話は,数ある仏教のお経の中の一つに書かれていることでしかないからです。
実は仏教というのは,古事記などのように単一の物語でできているわけではなく,時代を通じて,たくさんの種類のお経が作られています。
今回紹介した「盧舎那仏」が登場するのは,その数あるお経の中の一つ「華厳経(けごんきょう)」というもの。
仏教の経典はこれ以外にも多種多様なものがあり,それぞれバラバラなことを言って,バラバラな仏を登場させたりしています。
つまり盧舎那仏は,数ある経典の一つにおける最高神(「最高神」という表現が良いかは知りませんが…)でしかなく,仏教全体の最高神のような存在ではありません。
3 どうして奈良の大仏が作られたのか
奈良の大仏が,そんなチート級の存在をモデルにした仏像であることはおわかりいただけたでしょう。
次に,どうして奈良の大仏が作られたのかについて説明します。
聖武天皇は,日本各国に国分寺をつくり,それら国分寺を統括する都のお寺として東大寺を位置付けました。
なぜか。中心があって,その中心から各世界にパワーが放射されるという盧舎那仏の世界観と,中心の東大寺が各地方の国分寺を統括するという状況がピッタリあっていたからです。
あるいはもっというと,中央政府が各地方の民を直接支配するという律令体制の考えとあっていたからです。
よく考えられていますね。
4 奈良の大仏を見る
最後に,奈良の大仏の見方をお教えします。
奈良の大仏を見るときは,ぜひ大仏が座っている台座に着目してみてください。
奈良の大仏の台座は,ハスの花をかたどっています。
その花びらの一つ一つをよく見ると,仏の絵が描かれていることがわかると思います。
これが意味するのは,上で述べたように,宇宙の中心の盧舎那仏が各世界に仏の化身を送り込んでいる様子です。
というのは,上では説明しませんでしたが,お経には,盧舎那仏は,宇宙の中心にあるハスの花の上に座っていると描かれています。そして,このハスの花びら一枚一枚が無数の世界によってできているとも書かれています。
だから,このハスの花びら一枚一枚に仏が描かれているのは,それぞれの世界に仏を送り込んでいることを示しているのです。
奈良の大仏の台座のハスの花びら一枚一枚に仏の絵が描かれているのは,まさにこの経典の記述を受けてのものなのです。
しかし,細部まで本当にこだわっていますね。
5 おすすめ度
★★★★★(文句なしの星5/5)
6 最後に
ということで,今日は,日本で一番有名な仏像,奈良の大仏について説明しました。
皆さんもぜひ東大寺に行って,宇宙を感じてみてください。
それでは!
うつむく仏様(秋篠寺技芸天像)
仏像といえば,普通は真っ直ぐ前を向いてこちらを見守ってくれるもの。
しかし,奈良市の秋篠寺(あきしのでら)というお寺には,なんと
斜め下にうつむく仏様
がいるのです・・・。
時を超えた共同製作
によって作られたものだった・・・。
ということで今日は,
秋篠寺の技芸天(ぎげいてん)像
について説明します!
「秋篠寺?技芸天?知らんがな」というそこのあなた。絶対に楽しいので,ぜひ最後まで読んでください。
1 秋篠寺とは?
1−1 秋篠寺について
まずは,超簡単に秋篠寺について説明します。
奈良時代には創建されていたと言われる古いお寺です。
これから説明する「技芸天」が一番の見どころですが,それ以外にも,お堂に向かう道も見所です。一面に苔が生えていて,まるで緑色の絨毯の上を歩いているようです。
1−2 ちなみに・・・
ちなみに,今の皇室に秋篠宮家ってありますよね。それはこのあたりの地名「秋篠」が由来です。
2 技芸天
では,本論の秋篠寺の技芸天像について語ります。
2−1 技芸天とは?
そもそも技芸天は,インドの神様が仏教に取り入れられたもの。
技芸天は,ヒンドゥー教の神であるシヴァ神が音楽を奏でて楽しんでいるときに,シヴァの髪の生え際から生まれたという謎の出自を持ちます。そして絶世の美女。
「君どこ出身?」「私?生え際」ということですね。
技芸天という名称が示すように,技芸(ダンスとか楽器とか)上達のご利益があるとされます。
2−2 うつむく仏様
以上が技芸天の説明。次に本題の,秋篠寺の技芸天像がうつむいていることについて説明します。
普通仏像というと,真っ直ぐ前を向いている姿で作られるものです。しかし,なんと,秋篠寺の技芸天は,普通の仏像とは異なり,斜め下にうつむいています。
見てください。この絶妙な顔の傾き。品の良さを感じます。
何か浮世絵の美人図のような雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。
さて,秋篠寺の技芸天がどうしてこのような角度なのか。これはよくわかっていません。技芸天が絶世の美女であると言われたために,あえてこのように首を傾けて美女感を出したのかもしれません。
2−3 時を超えた共同製作
最後に,この仏像が奈良時代と鎌倉時代の仏師の共同製作であることについて説明します。
この仏像が最初に作られたのは奈良時代。その後,この仏像は,頭部のみが残って,首から下は壊れたか何かの理由でなくなってしまいました。そのため,首から下を鎌倉時代に復元し,残っていた頭部と接合させました。
このとき鎌倉時代の仏師は,とある仕掛けを施したのです。
それがまさに,首を下に向けてくっつけるということでした。
そう。実は最初に作られた奈良時代の頃,首は下を向いていなかったのです。このことは,首の接合部の線の傾きなどを調査することによって判明しています。
つまり今首を傾けているのは,鎌倉時代の仏師が見せた独自の表現なのです。
技芸天の美しさを追求して,あのうつむきを作ったのかもしれません。
つまりこの仏像は「美しい顔を奈良時代の仏師が作り,美しい姿勢を鎌倉時代の仏師が作る」という時を超えた共同製作により完成したものなのです。
2−3 よくよく考えると・・・
まあ,よくよく考えてみると,昔の人が作った作品を,後の人の思いで改変してしまったのですから,ダメと言えばダメかもしれませんが。古くなったレオナルドダヴィンチの絵を現代芸術家が独自に描き足すようなものですからね・・・。
4 最後に
ということで,今日は秋篠寺の技芸天について説明しました。
皆さんも秋篠寺に行って,絶妙にうつむく技芸天をぜひ見てみてください。
それでは!
今城塚古墳–足を踏み入れることができる唯一の天皇陵
天皇の古墳。それは宮内庁が厳重に管理しており,入ることが許されないところ・・・。
しかし,日本には,実際に入ることができる天皇の古墳がただ一つだけあること,皆さん知っていましたか・・・。
ということで,今日は,「日本で唯一の足を踏み入れることができる古墳」大阪府高槻市にある
今城塚(いましろづか)古墳
について説明します。
1 今城塚古墳の概要
1−1 被葬者
まずは,今城塚古墳について簡単に説明します。
今城塚古墳の被葬者は,西暦531年に亡くなったとされる「継体(けいたい)天皇」という天皇です。
継体天皇はあまり有名でないかもしれません。しかしこの天皇は,現代まで続く皇統の最初の天皇とも言えるかなり重要な天皇です。
具体的には,継体天皇は26代天皇ですが,その一つ前の25代武烈(ぶれつ)天皇には,男の子がおらず,その他身近に後継者候補となる人がいませんでした。したがって,武烈天皇が亡くなった時,天皇家は断絶の危機に立たされます。
そこで抜擢されたのが,当時の都である奈良や大阪から遠く離れた福井にいた継体天皇です。
武烈天皇までの天皇は基本的に奈良とか大阪の人でしたから,福井から天皇を迎えるというのは異例中の異例です。どうして継体天皇が選ばれたのかは諸説あってはっきりしませんが,いずれにせよ,継体天皇が26代天皇となり,この子孫から,有名な「推古天皇」とか聖徳太子とかが生まれ,現代の皇統が続いていくこととなるのです。ですから,継体天皇はとても重要な人物です。
ちなみに,「継体」という名称は,奈良時代の貴族が後からつけた名称です。当時は「オホド王」と呼ばれていました。継体という名称がつけられたのは,まさにこの天皇が「天皇の体制を継いだ」からです。
1−2 どうして入ることができるのか
先ほども述べましたが,今城塚古墳の最大のポイントは,実際に入ることができることにあります。
天皇の古墳というのは,通常は宮内庁が厳重に管理しており,実際に入ることはできません。あくまで外から見るだけです。
しかしここ今城塚古墳は,継体天皇という天皇の古墳であるのに,実際に中に入ることができます。なぜでしょうか。
その理由を端的にいうと,宮内庁としては,今城塚古墳の近くにある「太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳」という古墳こそが継体天皇の古墳であるという見解をとっているから。
というのは,歴史的には,太田茶臼山古墳が継体天皇の古墳であるといわれてきたのです。例えば江戸時代の有名な国学者本居宣長も,継体天皇の古墳は太田茶臼山古墳であると主張していました。
しかし,近代になって文献などをしっかりと調査してみたところ,むしろ今城塚古墳の方が継体天皇の古墳であることが明らかになりました。
しかし,宮内庁としては,一旦太田茶臼山古墳が継体天皇の古墳であると決めた以上,簡単に見解を変更することはできません。そんなことをしたらパニックとなってしまいます。
それで,今でも太田茶臼山古墳を継体天皇の古墳であるという見解をとり続け,今城塚古墳を放置しているのです。
2 見所
2−1 力士の埴輪
さて,ここは仏像関係のブログ。古墳について説明するだけでは足りません。
ということで,今城塚古墳から出土した良い「埴輪」について説明します(仏像ではありません。すみません!)。
それは,「力士」の埴輪です。
力士の埴輪?と思うかもしれません。確かに力士の埴輪というのは見慣れないかもしれません。
見てください。まさに力士の埴輪です。6世紀の中頃にすでに力士という概念があることが驚きですね。
2−2 なぜ力士?
では,どうして古墳の周りに力士の埴輪があるのでしょうか。
結論から言うと,力士が四股を踏むから。
力士の踏む四股は,地鎮,つまり地面の災いを沈める意味を持っています(諸説あります)。古代の人も,古墳の周りに力士の埴輪を置くことによって,土地の災いを除去しようとしたのですね。
2−3 話が逸れますが・・・
何はともあれ,この埴輪,仏像とはまた違った魅力があります。この埴輪が作られたのは6世紀の中頃ですから,そろそろ,あるいはすでに,大陸から仏像が入ってくる頃(仏像は大体538年に入ってきたとされます)です。
この埴輪からいきなり下の写真のような仏像が入ってきたわけですから,日本人はさぞ仏像を見て驚いたことでしょうね。
3 (失礼ながらの)おすすめ度
☆☆★★★(星3/5)
4 最後に
今城塚古墳には,今城塚古墳歴史館という無料の資料館があります。そこでは,この古墳についての解説の他,無料のガイドを頼むこともできます。ガイドの方は懇切丁寧に古墳について説明してくださりますので,かなりおすすめです。
と言うことで,皆さんも,日本で唯一の足を踏み入れることができる古墳に,ぜひ行ってみてください。
それでは!
總持寺–亀に乗った千手観音!
今日は,大阪府茨木市にある總持寺(そうじじ)について説明します。(なお,横浜に曹洞宗の大本山として同じ名前のお寺がありますが,無関係です。)
總持寺は駅の名前でしか聞いたことがないっすね,実際にお寺があんの?という方も多いかもしれません。実際にお寺があります。
しかもこのお寺は,亀に乗った千手観音菩薩を本尊とするようなとてもユニークなところ。今日は,そんな總持寺についてわかりやすく説明してゆきます。
1 歴史
このお寺の本尊は,上にも書いた通り亀に乗った千手観音。
なぜ亀に乗っているのか,それについては次のような物語が伝わっています。
ただ,普通に物語を説明しても退屈でしょうから,所々ツッコミどころで私が突っ込んでいきます。
始まり始まり。
物語の主人公は,藤原山蔭(やまかげ)という貴族(実在)と,そのお父さん。
・・・いきなり誰だよ・・・
ある時,この山蔭のお父さんが船で淀川を渡っていると,対岸で亀を捕まえようとしている男を発見します。
この様子を見たお父さんは,亀が可哀想であるからといって,その男にお金を払って亀を買いとり,亀を川に逃がしてやりました。
さて,その翌日,お父さんが連れていた子供の山蔭が淀川に落ちてしまいます。お父さんは,どうすれば良いかわからず,ひたすら観音さまに祈りを捧げていました。
・・・てか助けにいった方が良いのでは・・・
すると,なんと昨日助けた亀が背中に山蔭を乗せて水中から出てきたのです。山蔭は,亀に助けられたのです。
・・・浦島太郎にそっくりだな・・・
さて,この亀の恩返しに感動したお父さんは,これが観音さまの力であると確信し,お礼に観音さまの像を作ることを決意。
しかしお父さんは,志半ばで亡くなってしまいます。
遺志をついだ山蔭は,観音さまの像を彫ってくれる良い仏師を探しましたが,なかなか見つかりません。
困った山蔭ですが,ある時,彼の夢に,またもや観音さまが登場します。観音さまは夢の中で「奈良の長谷寺(今でも立派なお寺があります。)に行きなさい。そこで最初に出会った人物が,そなたの求める良い仏師である」というお告げをします。
そこで山蔭は,早速長谷寺に行きますが,彼が最初に出会ったのは小さい子供。こんな小さい子であっているのか不安に思いましたが,お告げの通りこの子供に「仏像を作ってください」と頼みます。
すると子供は「わかりました。ただ,私が工房で仏像を作る1000日の間,決して工房を覗いてはいけません」と言って,仏像を作ることを承認。
・・・鶴の恩返し的展開だな・・・
さて,1000日が経った(・・・いや工房覗けよ・・・)後のある日,工房の中から話し声が聞こえます。何かと思って山蔭が扉を開けてみると,中にいたのは,なんと亀に乗った千手観音。
そう。あの子供は,千手観音の化身だったのです。
・・・やっぱ鶴の恩返しそっくりだな・・・
そしてこの像を本尊として9世紀に創建されたのが,ここ總持寺です。
めでたしめでたし。
※補足
ちょっと長くなりました。ツッコミでも言いましたが,浦島太郎と鶴の恩返しが混ざったような話ですね・・・。なぜかはわかりませんが,妙に似ているのがとても面白いです。
2 總持寺の見所
總持寺の見所は,なんと言ってもその本尊の千手観音です。
このお寺の創建からずっと変わらずの本尊で,1100年以上前のものです。
実際に亀に乗った姿をしているので,とても特徴的です。私は他にこのように亀に乗った千手観音を見たことがありません。
ただし,この本尊は基本的に秘仏(普段は見ることができずケースの扉が閉じられている仏像)で,毎年4月15日から21日までのみ見ることができます。それ以外の期間は,この本尊を真似して作ったお前立(おまえだち。本尊が納められているケースの扉の前に置かれていつでも見ることができる仏像)を見ることととなります。
3 (失礼ながらの)おすすめ度
☆☆☆★★(星2/5)
4 最後に
ということで,今日は總持寺について説明しました。
ちなみにここ總持寺は「西国三十三所」の一つにも指定されている由緒正しいお寺です。
駅からも近いので,ぜひ行ってみてください。
それでは。