山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

浄瑠璃寺-現存唯一の九体阿弥陀如来

今日は京都府木津川市にある浄瑠璃寺(じょうるりじ)を紹介します。

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アクセスは良くありません。場所はJR加茂駅から徒歩50分くらいのところにあります。一応バスがありますが、本数が少ないので注意が必要です。


浄瑠璃寺がある辺り一体は、かつて「小田原」と呼ばれていました。特に興福寺の僧が南都の喧噪を嫌って平安時代後期からこぞってお寺を建てた場所です。


京都府といっても南の端。むしろ奈良の方が近いので、奈良の勢力が進出したのですね。


今では当尾(とうの)と呼ばれており、他の主要なお寺としては岩船寺があります。こちらも当ブログで紹介しておりますので、もしよろしければご覧ください。


次にこのお寺の由来について説明します。


創建は1047年と言いますから、まさに平安後期、藤原頼通が宇治に平等院を創建したのが1052年ですから、その頃の話です。


当初の本尊は薬師如来です。これは現在も残っています(後述)。


後述の通り、現在の1番の見所は九体阿弥陀如来像ですが、当初は薬師如来から始まったのですね。


このお寺の名前が浄瑠璃寺であることも、ここが薬師如来を安置するお寺として始まったと考えると納得です。浄瑠璃とは、薬師如来がいる東方浄瑠璃浄土のことであり、阿弥陀如来とは関係がないからです。


その後60年ほど経ち、興福寺の僧侶の恵信(えしん)がここに入山してお寺を整備します。お寺の中心に池を置き、九体の阿弥陀如来とそれらが入るお堂を池西に設置して、薬師如来が入る三重塔を池の東に設置します。


この配置にはもちろん意味があります。阿弥陀如来を西に設置したのは、阿弥陀如来がいる西方極楽浄土はその名の通り西にあるとされる一方、薬師如来がいる東方浄瑠璃浄土はその名の通り東にあるとされるからです。


平等院鳳凰堂阿弥陀如来を安置しますが、平等院にも真ん中に池があり、その西に鳳凰堂が置かれています。これと同じ意味です。


由来はこれくらいにして、次に見所を説明します。


見所はなんといっても九体(くたい)阿弥陀如来坐像(いずれも国宝)でしょう。


国宝のお堂の中に、9体まとめて全て国宝の阿弥陀如来が並んで安置されています。


最高です。


最高である理由ですが、まずはお堂が暗いことです。これがかえって雰囲気をよくしています。


次にお堂が狭いことです。これが阿弥陀如来との距離を近づけます。


お堂が狭い理由ですが、本来このお堂は人が中に入ることを想定して作られたものではなく、大きな厨子としての役割を想定していたかららしいです。


かつて参拝者は、このお堂を外から拝みました。その証拠に、9体の阿弥陀如来のちょうど間にお堂外側の柱が配置されていて、外から見て阿弥陀如来が柱で隠れないようになっています。


この9体の阿弥陀如来というのは、観無量寿経に由来します。観無量寿経によると、人が亡くなると、その人の生前の行いによって9つのランクに分けられ、それぞれのランクを担当する阿弥陀如来にお迎えされます。


だから阿弥陀如来が合計で9体並んでいるのです。このような阿弥陀如来を九体阿弥陀如来というのです。


この故事から、浄土信仰の高まる平安後期には、全国に30以上の九体阿弥陀如来が作られました。


その最初にして筆頭の例が、藤原道長が今の京都吉田のあたりに立てた法成寺です。


しかし、時の経過に伴って、法成寺を含めて九体阿弥陀如来はほとんどが焼失してしまいました。

そんな中で、現存している唯一の例がここ浄瑠璃寺なのです。


素晴らしいですね。


作られたのは1107年頃らしいので、平等院鳳凰堂(1053年)の60年ほど経ったものということになります。


見所はあと二つあります。ちょっと飽きているかもしれないので、簡単に説明します。


一つは平安時代後期の四天王です。これも国宝です。


今でこそ本堂に安置されていますが、昔はたくさんあったお堂のどこかに安置されていたものです。


二つ目が薬師如来です。重文です。


上で説明した創建当時の本尊で、国宝の三重塔に安置されています。普段は秘仏ですが、毎月8日のみ開かれます。しかし、開かれても仲が暗くほとんど見えないのが残念なところです。


以上が浄瑠璃寺の説明でした。


自分で申し上げるのもなんですが、私は多くのお寺を回っている方だと思います。


その中でもここは、ランクで言うとSランクくらいおすすめなので、是非行ってみてください!あ、近くの岩船寺とセットで行ってくださいね!


それでは。