須磨寺–美しい笛のあるお寺
今日は、兵庫県神戸市にある須磨寺(すまでら)について説明します。
本名は福祥寺(ふくしょうじ)ですが、須磨の中心的寺院ということで昔から須磨寺と呼ばれています。
このお寺の由来ですが、和田岬(兵庫港にある岬で、昔から水運の要所として重宝された)の海中から発見された聖観音の仏像を平安時代に安置したことから始まります。
平安時代末期には、承平天慶の乱の一つ一ノ谷の戦いにおいて源氏が陣を敷いたのがこのお寺であると伝わります。
由来はこれくらいにして、次に見所を説明します。見所は、なんといっても宝物館にある「青葉の笛」です。
この笛は平敦盛という人物のものです。
平敦盛は一ノ谷の戦いにおいて平氏方で闘った武将の1人で、平清盛の甥にあたります。一ノ谷の戦いの当時、まだ17歳でした。
お寺の説明書などをみると有名なものらしいのですが、恥ずかしながら知らなかったので、勉強を兼ねて説明いたします。
一ノ谷の戦いは、源氏が崖から奇襲したことで有名です。決戦の日の朝、源氏は崖の上で平氏の軍を攻める準備をしていました。そうしたところ、平氏の陣から美しい笛の音が聞こえてきます。源氏は敵ながらこの美しい笛の音に感動していました。
さて、決戦の時です。源氏が崖を降って平氏の軍を勢いよく攻めかけます。平氏は驚いてどんどん海に浮かぶ船の方に逃げます。
そうやって逃げる武将のひとりに、立派な甲冑を身につけたものがいました。
そこに熊谷直実(くまがいなおざね)という源氏の武将がきて、この人物を見つけます。直実はこの人物に対し「背中を向けて逃げるのは卑怯である」と呼びかけます。この人物はこれに応じて岸に戻り、直実と一騎討ちを繰り広げることとなります。
結果は直実の圧勝で、この人物は簡単に組み伏せられてしまいました。直実がこの人物の兜を取ると、中から出てきたのはとても若い武将でした。これが敦盛です。
直実は敦盛のことを知らなかったのですが、17歳の少年が「自分を討ってしまいなさい」と潔く話すことに胸が詰まり、首を落とすことを躊躇していました。
そうした中、直実の後ろから源氏の他の武将が迫ってくる音が聞こえてきます。このまま敦盛の首を取らずとも、どうせこれらの源氏の武将たちが首をとってしまう。
悩んだ直実は、最終的には、むしろ自分が供養を約束した上で首を取った方が良いと考え、「必ず供養する」と言って泣く泣く敦盛の首を取ってしまいます。
その首を敦盛が着用していた鎧で包もうとする(当時首はそうする習慣があったらしい)と、鎧の間から笛が出てきました。
直実はこの笛と首を持ち帰り、源氏の仲間達に見せつつ以上の話をします。
源氏の仲間達は、この若い人物こそ朝の美しい笛の音を出していた人だったのか、と感動しました。
めでたしめでたし。
・・・という話の笛です。
こんな感動する笛がある須磨寺、皆さんもぜひ行ってみては。
それでは。