山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

明石城-巽櫓と坤櫓のお城

今日は、明石市にある明石城について説明します。

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元々この辺りは池田光政が藩主を努める姫路藩の領域で,船上(ふなげ)城という姫路藩の支城が建っていました。


そんな中幕府は,中国や九州など西国にいる外様大名の監視のため,山陽道の要所であった明石を姫路藩から分離させ,新たな藩を設置することにしました。これによって誕生したのが明石藩です。


初代藩主には,小笠原忠政という人が選ばれました。彼は元々松本藩にいた大名です。


ついで幕府は,忠政に対し,船上城に代わる防御力の高い城の築城を命じます。これによって創建されたのが明石城です。1619年の完成です。築城に当たっては,船上城や伏見城の櫓が移築されたとのことです。


その小笠原忠政は,明石に入城してすぐに豊前小倉に移ってしまいます。以後は複数の大名家を経て,最終的には幕末まで越前松平家が藩主を務めることとなりました。


次に見所について説明します。


明石城は大きな二つの櫓が現存しています。明石駅方向から見て右にあるのが巽(たつみ)櫓,左にあるのが坤(ひつじさる)櫓です。いずれも近世以前の建築で,重要文化財に指定されています。


見所はやはりこの二つの櫓が高い石垣の上に並んで建っている様子です。西国の要らしく,すごく堅牢な雰囲気があります。


ちなみに,明石城には天守がありません。天守台(天守を立てるための石垣)はあるのですが,結局天守は創建されなかったのです。


その理由ですが,産経新聞には次の通り書いてあります。


県教委と明石市によると、明石城天守閣が建てられなかった理由として、中津城大分県中津市)から天守を移築する計画があった▽築城に神経をとがらせる幕府に配慮した▽大砲の技術が進み標的になる建物を建てる必要がなかった-などが考えられるが、はっきりとした理由は分かっていないという。(産経ニュース2018/3/17)


ちなみに,同じく兵庫県にある赤穂城も,天守台はあるけれども天守が建てられていないお城です。そういう関係で繋げておくと覚えやすいかもしれません。


ということで,観点ではありますが,明石城はこれくらいにしておきます。


明石と姫路は近いです。姫路城観光のついでに(失礼?),明石城もぜひよってみてください。


それでは。