曼殊院門跡 見所
今日は、京都市にある曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)について説明します。
概要
・天台宗の門跡寺院。「天台五箇室門跡」(京都にある5つの大きな天台系門跡寺院のこと。)のひとつ。
・大津市の三井寺にある黄不動画像を模写した「黄不動」が安置(ただしレプリカ)。国宝に指定されている。
まずはこのお寺の歴史を説明します。
曼殊院門跡は今でこそ京都の東山の麓にありますが,もとからここにあったわけではありません。
このお寺は最澄の創建にかかり,比叡山延暦寺の西塔地域に建てられた東尾坊(とうびぼう)という坊舎がそのおこりです。つまりもともとこのお寺は比叡山にあったのです。
その後,1108年ころに比叡山の東尾坊から北野天満宮近くの北山の地に本拠地を移し,「曼殊院」に名称を変更しました。また,1495年には皇族がこのお寺の住職を務めるようになります。「門跡」とは,皇族が代々住職を務める寺院につける一般名詞です。よってこの頃から,曼殊院は「曼殊院門跡」と呼ばれるようになりました。
そして数度の移転を経た後の1656年,ついに曼殊院門跡は現在の場所に移転して今に至ります。
天台宗にはこのような門跡寺院がいくつかあるのですが,古くから①妙法院門跡(三十三間堂の近く),②三千院門跡(大原),③毘沙門堂門跡(山科),④青蓮院(知恩院の近く)と並んで「天台五箇室門跡」と呼ばれ,大いに栄えたそうです。
さて,歴史はこれくらいにして,次に見所の説明に移ります。
このお寺の見所は「黄不動」(のレプリカ)です。
この「黄不動」というのは,名前の通り黄色い肌の色をした不動明王が描かれた絵画です。
この絵は,大津市にある園城寺にある「黄不動」を平安時代後期に模写したものです。
園城寺にある黄不動は,園城寺を復興した円珍(智証大師)が比叡山での修行中に感得した不動明王の姿を表したものらしいです。
具体的には,円珍が修行をしていたところ,目の前に金色に輝いた人が現れて,「私は金色の不動明王であり,私の絵を書いて拝めばあなたをお守りする」などと述べたそうで,その姿を表したのが園城寺の黄不動です。
そして,平安時代後期以降,園城寺の黄不動は盛んに模写されたそうですが,その一つがここ曼殊院門跡に残る黄不動であり,国宝に指定されています。
さて,この黄不動なのですが,最近新たな発見があったそうです。
この黄不動のお腹の部分の紙の裏側に薄い墨で小さい黄不動が描かれていることが,赤外線写真によってわかりました。
専門家によると,かつて仏画を描く前に行われていた儀式において描かれたものが残ったのだろうと考えられているそうです。
残念ながら本物は京都国立博物館に収蔵されており(なお,普段は公開されていません),曼殊院門跡に残っているのはそのレプリカでしかありませんが,本物の迫力をイメージしながらレプリカを拝んでみてください。
ということで,今日は曼殊院門跡について説明しました。
京都北東部のお寺はちょっとマイナー来る人が少なめですが,とても良いところです。ぜひ行ってみてください。
それでは。