仙洞御所 見所
今日は,京都市にある京都仙洞御所について説明します。
「仙洞御所」と言うのは,上皇の御所のことを言います。「仙洞」はもともと仙人が住む洞窟という意味です。仙人は不老不死であることから,上皇も是非長生きしてくださいという意味で,上皇が住む場所をこう呼ぶようになったそうです。
天皇が住む御所と異なり,仙洞御所は歴史上ここという決まった場所があるわけではありませんでした。たとえば有名なところで行くと,京都の嵯峨野にある大覚寺は,もともと嵯峨上皇の仙洞御所でしたし,妙心寺はもともと花園上皇の仙洞御所でした。
ちなみに,京都仙洞御所は最近まで単に「仙洞御所」と呼ばれていたのですが,令和になって今上上皇が誕生し,今上上皇が住われている東京の赤坂御所が仙洞御所と呼ばれるようになったことから,こちらは「京都」仙洞御所と呼ばれるようになったそうです。
さて,まずは京都仙洞御所の概要について説明します。
京都仙洞御所を造営したのは後水尾上皇です。
ちなみに,同じく京都にある修学院離宮を造営したのも後水尾上皇です。。
前述の通り,仙洞御所というのは御所と異なってずっと同じ場所にあったわけではありませんでした。今京都仙洞御所がある場所は,江戸時代まで京都の町屋などがあるところだっとのですが,後水尾上皇が,自らの仙洞御所として,京都御所の近くのこの場所に1630年に造営しました。最初は江戸時代初期の庭師小堀遠州が作った庭があったそうです。
その後,京都仙洞御所は,後水尾上皇の存命中に3度も火事に遭います。後水尾上皇は火事のたびに修復をしましたが,その際にもともとあった小堀遠州の庭を自分好みに大きくアレンジしてしまったため,今ある庭は基本的に後水尾上皇プロデュースということになります。
もちろん当時は建物があったのですが,これが1854年の火事で消失してからは,当時上皇がいなかったことや財政難であったこともあり,以後建物は再建されることがありませんでした。したがって,「京都仙洞御所」と言っても,今では仙洞御所の建物自体は残っていません(大宮御所と言って,大上皇后の御所は残っています)。ただ綺麗な庭があるのみです。
次に見所を紹介します。
それは,「洲浜」から見る「南池」です。
仙洞御所の池は,森を隔てて二つに分けれているのですが,そのうち南の部分を南池と言います。
そしてこの南池は,池でありながら海の雰囲気を味わってもらおうと,海岸のように河原の石が敷き詰められています。
この光景が実に美しいのです。敷かれている石も丸く綺麗なものばかり。
実は,これらの石は神奈川県の小田原藩から献上されたものです。
当時の小田原藩が,石を集めるべく,庶民に対し綺麗な石を持ってきたら石一個について1升の米を授けるといい,多くの庶民から石を集めたそうです。
このことから,この瓦に敷き詰められている石を「一升石(いっしょうせき)」と呼ぶそうです。
以上が見所ですが,一つ筆情報を。
仙洞御所には柿本人麻呂を祀った祠のようなものがあります。この理由ですが,当時京都では火災が多かったことから,街では,火除を祈って「人麻呂(火止まろ)」を祀ることが多く行われたそうです。このブームに戦闘御所もあやかって,人麻呂の祠を造営したのです。
ということで,今回は京都仙洞御所について説明しました。京都仙洞御所は広く,またガイドもついているため,上で紹介した場所以外にも多くの見所をガイドさんから初回してもらえます。
是非行ってみてください。
最後に京都戦闘御所の拝観方法ですが,修学院離宮や桂利休などと同じく,宮内庁のサイトか往復ハガキによる事前予約が必要です。
修学院や桂離宮ほど人気は高くないという印象ですが,それでも予約は早いうちにいっぱいになってしまうので,早めに予約しておくことをお勧めします。
以下のURLから予約することができます。
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sentou.html
それでは,予約の上,是非行ってみてください。
それでは。