山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

福智院 見所

今日は,奈良市にある福智院(ふくちいん)について説明します。

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福智院の入り口



概要

・運慶の父康慶が彫ったと言われる地蔵菩薩坐像が見所。

地蔵菩薩という菩薩の身分でありながら光背に多くの化仏をつけることから,「地蔵大仏」と呼ばれる。567体の地蔵菩薩が付加されており,56億7000万年という数字を象徴する。

 

まずはお寺の歴史を説明します。ここについてはお寺の係員から話を聞きましたが,ちょっと忘れいているところがあるため,間違っているかもしれません。ご了承ください。

このお寺のルーツはふたつに遡ります。一つは,もはや現存せず遺跡もないお寺である「清水寺(しみずでら)というお寺であり,もう一つは奈良市狭川のあたりにあった福智庄という興福寺の庄園にあったお寺です。

清水寺の歴史は古く,玄昉の活躍した奈良時代には創建されていました。本尊は地蔵菩薩でしたが,中世には廃絶し,なくなってしまいました。

清水寺が廃絶する少し前の1206年,福智庄にあったお寺に後で説明する地蔵菩薩が安置されました。

その後,1254年に,福地庄のお寺となき清水寺が合併する形で,今の福智院がある場所にお寺が移転し,福智庄から今の地蔵菩薩が運ばれました。

 

その後は紆余曲折があって,江戸時代頃には興福寺大乗院の塔頭寺院となり,さらにその後独立して現在に至ります。

 

次に見所を説明します。見所はなんといっても本尊の地蔵菩薩です。(著作権の関係で写真は貼ることができません。すみません‥(画像検索をすればすぐに出てきます)。

 

上述の通り,1206年に福智庄で作られて1254年に現在地に運ばれてきたものです。

 

説明すべき点は次の二点に集約されます。

 

第一に,光背(本体の後ろにある壁のような飾りのこと)にある化仏です。

 

化仏というのは,メインとなる仏像に付属して安置される小さな仏像のことです。光背に化仏をつけるのは通常如来(=仏)であることから,こちらの地蔵菩薩は「地蔵大仏」と呼ばれます。

 

この地蔵菩薩には,本体の後ろの光背に,小さいものとして560体の地蔵菩薩が,中ぐらいのものとして6体の地蔵菩薩が,それぞれつけられています。

 

ということは,本体と合わせると567体の仏像がいることとなります。この567体という数字には意味があるのです。

 

仏教では,56億7000万という数字には特別な意味があります。

初期の仏教の教えによると,お釈迦様がなくなった後,この世には当分ブッダ(つまり悟りを開いたもの)が登場することはなく,次のブッダがこの世界に登場するのは釈迦の入滅から56億7000万年後であるそうなのです。

ちなみに,この,次に登場するブッダのことを弥勒菩薩(登場した後は弥勒如来)と言います。聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。

 

しかし,人々は56億7000万年も待つことは到底できません。その間この世界を救ってくれる存在があって欲しいものです。

 

そこで,次のブッダである弥勒がこの世に現れるまで,この世界で人々を救済する役割を担う存在として活躍するのが地蔵菩薩なのです。

 

だから,地蔵菩薩と56億7000万年との間には,深い繋がりがあるのです。

 

福智院にある地蔵菩薩がもつ567という数字も,この意味が込められているのです。

 

二つ目は,康慶が主として作っているということです。

 

康慶は有名な仏師運慶の父で,運慶も,或いは快慶も彼から彫刻を学びました。

 

有名な作例は,近くの興福寺南円堂にある不空羂索観音が有名です。

心なしか,顔形がとても似ている気がします。

 

ということで,今日は奈良市にある福智院を紹介しました。福智院は奈良市のど真ん中にあるので,周囲には興福寺東大寺,新薬師寺,白毫寺或いは元興寺など,有名なお寺が数多く存在します。これらのお寺を観光するのと同時に,ぜひ福智院にも足を運んでくださいね。

 

それでは。