山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

安祥寺-奈良時代の十一面観音があるお寺

今日は、京都市山科区にある安祥寺について説明します。

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まずはお寺の歴史を簡単に説明します。

創建は848年。空海の孫弟子の恵運という僧侶により創建されました。そのため真言宗のお寺です。

当時は、背後にある山の上の方にある上寺(かみでら)と、麓にある下寺(しもでら)の二つの領域に分かれて分布していました。

上寺が僧侶の育成、下寺が祈祷などの役割を担っていたそうです。

以来、時の経過に従い段々と荒廃していき、江戸時代には見るも無惨な状況になってしまっていました。それを憂えた当時の住職が江戸幕府に惨状を訴え、多宝塔などの堂宇を立てて再興を果たしました。

その後、明治39年には火災により多宝塔を失います。ただ、従来塔の中に安置されていた五智如来は、その時ちょうど京都国立博物館に預けられていたため、火を免れることができました。この五智如来は、最近国宝指定されたもので、今も京都国立博物館に収蔵されています。

これまでは、無住職のお寺として基本的に公開されてきませんでしたが、2年ほど前から段々と公開に向けて動いてきているそうです。


以上がお寺の概要です。


次に見所を説明します。

見所は、本堂にある十一面観音坐像です。


檜の一木造に漆箔をしたものです。


制作されたのはなんと奈良時代奈良時代の仏像は特に京都にはほとんど残っていないので、とても貴重なものと言えます。

お寺の創建は前述の通り848年ですから、この像は創建後にどこか別の場所から移されてきたものだと考えるしかありません。一説によると、安祥寺背後の山に所在した「檜尾寺(ひのおのてら)」というお寺にあったのではないかと言われています。


像高は220センチほどの長身です。体躯は細く、また指も細長く、すらりとした美しさがあります。この点は長浜市向源寺の十一面観音を彷彿とさせます。


もともとは漆の上に金箔を貼ったものでしたが、金箔が剥がれ、今では漆により異様なほど黒光りしています。この点では木津川市の観音寺の十一面観音を彷彿とさせます(黒光り具合は安祥寺のほうが強いですが)。


最後に顔は、目が細く、しかし平安前期の仏像によくあるアニメチックな表現ではなく、奈良のリアリズムを感じさせます。


正直私は安祥寺を訪れるまでこの像を知りませんでした。しかし、正直かなり良い仏像だと確信しました。


さて、今日は安祥寺について説明しました。安祥寺は、現在のところ通常非公開で、秋などの特別公開を待つしかありません。しかし上でも書きました通り、これからは段々と開かれる時期も増えてくるらしいので、楽しみですね。


皆さんも公開時期についての情報を収集の上、ぜひいってみてください。


それでは。