山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

同聚院-仏師界のレジェンドの父が作った不動明王

今日は、京都市東山区にある同聚院(どうじゅいん)について説明します。

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まずはお寺の概要を説明します。

東福寺がある場所は、平安時代には、藤原忠平が925年に創建した「法性寺(ほっしょうじ)」という大寺院がありました。

1006年、時の権力者の藤原道長が、この法性寺の一角、現在の同聚院がある場所に、丈六(2.5メートル程度)の五大明王(不動明王をはじめとする五体の明王像)を安置する五大堂というお堂を建立します。

鎌倉時代には、火災によって五大堂は焼失してしまうのですが、中にあった五大明王のうち中心の不動明王だけは奇跡的に災禍を免れます。

その後、この不動明王を安置するお寺として同聚院が成立し、今に至ります。

今では、東福寺塔頭(メインのお寺の強い影響下にある小さなお寺)としてかなり小規模のお寺となっていますが、中には当時のままの大きな不動明王を伝えているのです。


次に見所を説明します。

見所はもちろん、本尊の不動明王です(同聚院 不動明王 で検索してみてください。)。

少し話がそれますが、皆さんは平安時代中期のもっとも偉大な仏師「定朝(じょうちょう)」を知っていますか。

この定朝という人物は、藤原氏など時の権力者御用達の仏師で、平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像など、多くの造像を手がけた人です。

その造形はあまりに美しく洗練されているために、時の権力者から、定朝の作る仏像は「仏の本様(ほんよう。本来のあるべき姿)」ともてはやされました。

以後、多くの仏師が定朝の様式を踏襲することになるくらい、その影響は絶大だったのです。まさに仏像界のレジェンドと言えるでしょう。

運慶初め慶派の人間、その他鎌倉以降の多くの名仏師は、皆この定朝の子孫です。

、、、で、話が長くなりましたが、ここの不動明王は、そんなめちゃくちゃすごい仏師定朝のお父さんである「康尚(こうしょう)」が作ったものです。

息子さんがあまりにすごい人物ですが、そんな息子さんが造像を学んだのがこの康尚なのですから、康尚もかなりすごい人だったのでしょう。


さて、そんな康尚の作った不動明王、少し着目してみましょう。なお、以下は一般に言われていることではなく、完全に私の主観です。

平安時代中期の仏像の特徴は、一般的に柔和さにあると言われます。

一方の不動明王は、忿怒相(ふんぬそう)といって怒りに怒った顔で作られます。

したがって、平安時代中期の不動明王というのは、温厚と忿怒という矛盾する二つの特徴を兼ね揃えることになりそうです。

康尚のすごさは、この二つの特徴を違和感なく組み合わせていることです。

確かにここの不動明王は怒っているのですが、どことなく優しさを感じるのです。しかも両者は互いに干渉することもありません。

なぜこう感じたのか、目が丸く、口角がやや上がっており、大きな笑みを浮かべているようにも思えるからなのでしょうか。怒っているけれど、笑っているようにも見えるということです。

いずれにせよ、表現のうまさにはただただ感動します。


ということで、今日は同聚院について説明しました。

同聚院は、秋などの一定期間しか開いていません。情報収集の上、東福寺観光と共にぜひいってみてください。


それでは。