清凉寺2–仏像の歴史の過渡期にある阿弥陀三尊
1 はじめに
こちらで説明しました。今回は,もう一つの見所である清凉寺阿弥陀三尊像(中央に阿弥陀如来,向かって右(左脇侍)に観音菩薩,向かって左(右脇侍)に勢至菩薩)について説明します。
2 由来
この阿弥陀三尊像は,清凉寺の前身である棲霞寺の本尊です。最近まで清凉寺の阿弥陀堂に安置されていましたが,霊宝館ができてからはこちらに移っています。
棲霞寺は,源融が晩年に発願したものです。源融は,本尊の阿弥陀三尊のうち中央の阿弥陀如来はも自らの顔をモデルに作らせようとしたらしいですが,残念ながら志半ばで死亡してしまいました。そこでお寺と阿弥陀如来の造営は子に引き継がれ,棲霞寺を完成させたのです。この阿弥陀三尊には亡き源融の思いが込められているということです。
3 見所
3−1 中尊阿弥陀如来
阿弥陀如来の魅力を一言で表現すると「重厚感の中に現れた新時代の柔和さ」となります。
この阿弥陀如来ができたのは896年。仏像界では,平安時代前期と平安時代後期では大きく作風が異なることが常識とされています。前期と後期の境目は大体10世紀前半。つまりこの仏像は,その過渡期にほど近い頃の作品ということになるのです。
平安時代前期の特徴は重厚感(深い彫り,大きな抑揚など),平安時代後期の特徴は柔和さということができます。例えば,神護寺薬師如来は平安時代前期の典型的な作品で,平等院鳳凰堂阿弥陀如来は平安時代後期の典型的な作品ですが,前者は重厚感にあふれる一方で,後者は柔和さに溢れることがわかると思います。
この仏像は,上記の通り前期と後期の過渡期にあるからか,重厚感と柔和さを兼ね揃えているように感じます。まずは重厚感としては,なんといっても体の衣紋の彫りの深さでしょう。これは神護寺像につながる点があると思います。一方で,顔を見てみると,優しく微笑んでおり,エキゾチックさなどは希薄で,柔和な印象にあふれています。
3−2 脇侍観音・勢至両菩薩
次に脇侍の魅力ですが,一言で言うと「密教の不思議な雰囲気」です。
脇侍の印相(手のポーズのこと)は独特です。実はこれは密教の印相です。
呪文とか呪いとかいえば,皆さんは手で特殊なポーズをすることを思い浮かべるでしょう。密教も呪文などスピリチュアルな要素を多分に含んでおり,様々なポージングが持て囃されます。ここの両菩薩がやっているポーズも,そんな密教に由来するものなのです。
また,この脇侍は,肩幅に比して明らかに異様なほど胴体がくびれています。これも平安時代前期の大きな抑揚の表現ということができます。
これらの様子は,同じく密教の代表的な仏像である東寺講堂五大菩薩像でしょう。雰囲気がそっくりです。
3−3 ちなみに
ちなみに,この三尊像は霊宝館を入ってすぐの左側に安置されています。霊宝館の中心にあるなら心の準備ができて良いのですが,霊宝館の扉を開けてすぐの左にあるので,本当の意味でちょっとびっくりします。つまり,阿弥陀三尊像が突然目に入ることになるのですが,これがまた良いのです。皆さんも,霊宝館の不意打ちを楽しんでください。
4 最後に
と言うことで,清凉寺の今日は阿弥陀三尊像について説明しました。清凉寺の阿弥陀三尊像は,霊宝館が開いている毎年4,5,10,11月しかみることができませんので,ご注意ください。
それでは!