岩船寺−最古の丈六阿弥陀如来(定印)があるお寺
今日は、京都府木津川市にある岩船寺(がんせんじ)について説明します。
場所ですが、公共交通機関を使った場合かなりアクセスが悪いです。加茂駅からバスがあるにはあるらしいのですが、本数が少ないため時間を見なければなりません。歩くとなると5キロ以上です。
京都府にありますが、最南端といっても良いくらい南の端にあり、実質的には奈良観光をしつつ寄るような場所だと思われます。
しかし、それほど大変な思いをしてでもいく価値があるのがここ岩船寺です。
ここの由来を簡単に説明します。
行基が創建し、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が堂塔を整備したとのことです。
その後、興福寺の影響が強く及ぶようになります。そしてその興福寺は、一時期衰退して同じく奈良の西大寺が管理することとなります。
その影響で、このお寺は西大寺と同じく真言律宗のお寺となりました。
この京都南部一帯の地域は、平安時代後期頃から、世間の喧騒を嫌った南都の僧侶、特に興福寺の僧侶が遁世の場としてこぞってお寺を建てた場所でした。
今ではこの辺りは「当尾(とうの)」と呼ばれますが、古くは小田原と呼ばれ、仏教の聖地のような場所だったのでしょう。
次に見所ですが、なんといっても本尊の阿弥陀如来坐像です。
作られたのは946年。定印(手の平を重ねて結跏趺坐した脚の上に置く印相)を結び、静かに座っています。
像高は284センチ。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来が285センチなので、それとほとんど同じ大きさの巨像です。いわゆる丈六仏というやつですね。
そして何より驚きなのは、これだけの大きさなのに一木造りであるということ!ただし、一木造りというのは体の主要な部位が一木より彫られていることを意味し、その目安は肩幅までの部分が一木であることです。この像も、肩幅より外側の部分、例えば結跏趺坐した膝の部分などは部材の継ぎ足しによりできています。
お寺の係員曰く、定印を結ぶ丈六の阿弥陀如来の中で制作年代がわかっているものではこれが現存最古であるということです。
一見「条件絞りすぎ!」と思われるかもしれませんが、上の条件は、いわゆる平安時代後期の浄土思想の流布により流行した仏像の形ですから、そんなに絞りすぎということではないと思われます。
係員はまた、このような形の仏像の変遷も語っていただけます。
①岩船寺(946)→②平等院(1053)→③浄瑠璃寺(1107ころ)→④法金剛院(1130。後述)→⑤法界寺(11世紀末)→⑥三千院(1148)、とのことです(付した年号は筆者による)。
しかし、法金剛院は1130年の作品である一方、法界寺は11世紀末の作品であるとされているので、上の説明の④と⑤は逆なのではないかと思っています。
また、三千院の阿弥陀如来は定印を結んでいませんから、ちょっと毛色が異なるでしょう。
いずれにせよ岩船寺の阿弥陀如来は、今後発展していく浄土教と阿弥陀信仰の先駆けといえるような作品なので、重要なのでしょう。
もう一つ、本堂左奥の普賢菩薩も見所です。
これはもともと同じく岩船寺にある三重塔(重文)に安置されていたものです。
小さいですが、緻密にできています。平安時代後期の作品とのことですが、その中でも特に院政期の作品ではないかと思いました。
似ているところで言うと、同じく院政期の作品である東京の大倉集古館にある普賢菩薩でしょうか。
最後に岩船寺という名前の由来ですが、よくわからないものの、日本神話などに出てくる「磐船」がなんらかの形で影響しているのではないかとの説明がありました。
岩船寺は花の寺にも列せられているように、境内には紫陽花が多く植えられていて、シーズンには美しい景観が楽しめるとのことです。
ということで、南山城に行った際には是非拝観してみてください。近くの浄瑠璃寺も忘れないように!
それでは。