南宗寺−千利休が修行したお寺
今日は,大阪府堺市にある南宗寺(なんしゅうじ)について説明します。
これまた「どこだそれ」と言われそうです。というのも,私も最近まで知りませんでした。
このお寺ですが,千利休が若いときにここで修行したことが重要だと思います。
そもそも千利休は堺の出身です。元は田中与四郎という名前だったそうです。仏門の入ってからは千宗易(そうえき)と呼ばれ,この寺院で修行していました。宗易は,侘び茶の師匠の武野紹鴎の他,このお寺の住職である大林宗套などからお茶の教えを受けていたらしいです。
この大林宗套はじめ,南宗寺は伝統的に京都大徳寺の僧侶が住職を勤める習慣がありました。そのため,千宗易もこの頃から親しく大徳寺と交流したそうです。
千利休といえば,大徳寺に対して資金援助をした見返りに山門の楼閣部分に像を立ててもらったら,石田三成に激怒された話が有名です。この話だけではどうして大徳寺?と思ってしまいますが,こうやって考えると千利休と大徳寺との関係が深いことも納得ですね。
南宗寺は大坂夏の陣で焼失し,17世紀になって再建されました。その建物も多くが大阪大空襲によって焼失してしまったので,現在の建物は多くがそれ以降の再建ということになります。
境内には千利休好み茶室「実相庵」などもありますが,これは従って後世の再現ということになります。
説明は以上です。私はお茶のことが全くわからないので,これを機にちょっと勉強してみたいと思います!
それでは。