修学院離宮 見所
今日は,京都市にある修学院離宮(配布されるパンフレットには「しゅうがくいんりきゅう」とあるが,wikiには「しゅがくいんりきゅう」とある。)について説明します。
まずは名称についてです。修学院離宮といっても,この離宮の名前が修学院であるという意味ではなく,修学院というのはこの辺りの地名です。地名の由来は,かつてこの辺りに修学院というお寺があったことによるらしいです。
さて,修学院離宮の概要を説明します。
修学院離宮は,1659年,後水尾上皇が,自身の譲位後の離宮として「上離宮」と「下離宮」という二つのエリアで構成される離宮を造営したことにはじまります。当時,上皇の御所としてはすでに仙洞御所(京都御所の近くに現在も残る)が存在していましたが,後水尾上皇がそれとは別に山荘をご所望されたため,京都の外れに離宮が造営されたのです。
この場所には,すでに後水尾上皇の皇女の梅宮(うめのみや)という方が出家してお寺を創建していました。後水尾上皇はそのお寺を別の場所に移し,その跡地に離宮を造営することとなります。
後水尾上皇が最初に造営したのは下離宮と上離宮の二つだけですが,その後,1668年頃,下離宮の近くに後水尾上皇の皇女の朱宮(あけのみや)の住む山荘が建てられ,さらに1682年,上記山荘に女院御所(上皇の皇后が住む建物で,先頭御所の一角にあった)の建物の一部が移築されました。そしてこれらを合わせて中離宮というエリアが新たに設けられ,これも修学院離宮に組み込まれました。
以後,修学院離宮は上,中,下の三つのエリアによって構成されるようになり,この状態で明治を迎え,当時の宮内省の所管となりました。
以上が概要です。
次に見所を説明します。見所は二つあります。
一つ目は,中離宮にある「霞棚」です。
中離宮には「客殿」という建物があります。上で説明した,1682年に女院御所から移築されてきた建物のことです。
この建物の中には5段の違棚がつけられているのですが,これを霞棚といいます。名前の由来は,段が段階的に上の方に伸びている様子が霞のようであることによります。
当時から「日本三名棚」の一つにあげられるほど有名なものです。ちなみに他の2つとは,桂利休の桂棚と醍醐寺三宝院の醍醐棚です。
なお,正直に個人的な感想を言うと,この棚の良さにはあまり気づけていません。これが有名であるということを知らなければ,おそらくそんなに着目していなかったと思います。
ただ,いずれにせよ有名な違棚ですので,ぜひ一度見てみてください。
二つ目は,上離宮にある大きな池です。池の名前は「浴龍池(よくりゅうち)」といいます。
この池は小高い丘の中腹にあるため,下からでは見ることができません。
しかし,上離宮まで行ってみると,そこに綺麗な池があるのです。
自然豊かな山間に,綺麗で大きな池がある様子は見ものです。なお,ガイドさんの説明によると,今年はなぜか水草が大量発生しているため,池がちょっと濁ってしまっているとのことです。普段は澄んだ綺麗な池が広がっているとのことでした。
以上二つが修学院離宮の見所でした。
最後に拝観方法について説明します。修学院離宮は原則として事前予約が必要です(当日参加も,枠は少ないそうですが一応可能です)。事前予約は往復ハガキかネットでの申し込みによってします。ネットが簡単なのでこれをお勧めします。
しかし,修学院離宮は結構人気であるため(特に最近はコロナの関係で参加人数を制限しているため,なおさら枠が厳しいです),ネットで空き状況をみながら予約をすることとなると思います。計画的に予定を立てておく必要があるでしょう。
以下のURLから予約ができます。
https://sankan.kunaicho.go.jp/order/index.html
さて,修学院離宮についての説明は以上で終わります。皆さんもぜひ行ってみてください。
それでは。