中山寺–西国三十三所の宝印が納められたお寺
このお寺の創建は聖徳太子と伝わりますが,ここはあっさりといきます。
重要だと思うのはここからです。
このお寺は,西国三十三所巡礼の創始者であると伝わる徳道(とくどう)上人という僧侶が宝印を納めたと伝わる場所として,西国三十三所の中でも特に重要です。
具体的に説明します。
西国三十三所の由来は次の通り伝わっています。
時は奈良時代。長谷寺(桜井市)の僧侶であった徳道上人という僧侶が,あるとき病気で危篤になります。徳道上人が寝込んでいるとき,夢で閻魔大王に会って,閻魔大王から次のように言われます。
「日本にある観音菩薩を祀る33のお寺を巡礼すれば,人々が救われるから,そうするように」
そういうと閻魔大王は,徳道上人に対し33の宝印(御朱印に押されるあのハンコのこと)を授けました(夢の中で会っているのにどうやって授けたのか,その辺りの具体的な状況はわかりませんでした)。
徳道上人はそう言われると危篤から回復し,33の寺院を巡礼し始めます。その一つにここ中山寺がありました。
しかし,当時はまだ徳道上人の教えに賛同するものが多くおらず,西国三十三所は普及しませんでした。
そこで徳道上人は,いずれ時が来るまでこの宝印は大切に保管しておこうということで,中山寺にあった石の櫃(からと)(後述)という石棺に宝印を納めました。
このようにして,一旦西国三十三所巡礼は廃れてしまいます。
花山法皇があるとき那智山で修行していると,熊野権現が法皇の前に姿を現し「徳道上人がかつてやっていた西国三十三所巡礼を復活させよ」との指示を受けます。
そこで花山法皇は,中山寺に納めてあった宝印を発見して(これが,元々中山寺にあったことを知っていたのか,たまたま見つけたのかはわかりませんでした),西国三十三所を復興させました。以来現在に至るまで,西国三十三所は栄えてきました。
このような話です。
以上のストーリーのように,西国三十三所において中山寺は大きな位置を占めているのです。
次に見所ですが,その石の櫃が現存しています。これを是非ご覧ください。
この石の櫃は,中山寺の一角に所在する横穴式石室の中にある石棺です。古墳時代後期のもので,当時のこの辺りの豪族の墓であったと考えられています。
誰でも入ることができます。中は暗いので,神聖な雰囲気があります。
徳道上人がここに宝印を納めたというのはあくまで伝説上の話だと思いますが,物語に出てくる石の櫃がこのように実在しているのは面白いですね。
ということで,皆さんも,西国三十三所の中でも特に重要なお寺である中山寺を是非お参りしてみてください。
それでは。