阿弥陀如来とは?(前半)
阿弥陀如来・・・
「阿弥陀仏」とか「阿弥陀さま」とかとも呼ばれます。皆さんも聞いたことがあるでしょう。
この阿弥陀如来が住む世界が,かの有名な「極楽浄土」です。
この極楽浄土,実は
悟りを開くための「トレーニングジム」
であること,知っていましたか。
また,この阿弥陀如来,実は
超ストイックな仏
であること,知っていましたか。
ということで,今日は,そんな面白い話満点の
について説明してゆきます!
阿弥陀如来の仏像は日本にとても多くあります。なので,阿弥陀如来を知っていれば,仏像鑑賞が楽しくなること間違いありません。
いつも通り,わかりやすく,具体的に説明していきますから,ぜひ最後まで読んでください!
1 結論
阿弥陀如来とは何か。一言で説明すると「極楽浄土のオーナー」です。以下,具体的に説明してゆきます。
2 極楽浄土
2−1 極楽浄土とは?
まずは,阿弥陀様がオーナーとして治めているという「極楽浄土」について説明します。
極楽浄土を理解するためには,仏教の世界観を理解する必要があります。
仏教においては,この宇宙には無数の世界があると考えます。そして,それぞれの世界には最大で一人の仏(悟りを開いた人)がおり,その世界を運営します。
その無数の世界の中のうち,我々が住むこの世界を「シャバ」と言い,シャバを治める仏はお釈迦様です。「シャバの飯」などという言葉で聞いたことがあるかも知れませんが,それはここから来ています。
で,極楽浄土というのも,この無数に存在する世界のうちの一つです。シャバの遥か西の方角にあることから「西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)」とも呼ばれます。
そして,阿弥陀如来は,極楽浄土を治める仏なのです(お釈迦様と異なり,もちろん架空の存在です。)。
2−2 極楽浄土はどんな世界か?
では,その極楽浄土はどのような世界なのでしょうか。
「豪華絢爛で苦しみのない世界というイメージがあるんだけど・・・」と思われた方,大正解です。
阿弥陀如来は「仏」つまり「悟りをひらいた存在」ですが,もちろん阿弥陀如来にも修行時代がありました。その時彼は,自分の師匠にこんなことを誓います。
「僕もそろそろこの世界(のちの極楽浄土)で悟りを開きますが,僕が悟りを開くからには,僕が治めるこの世界(のちに極楽浄土)を他のどこよりも素晴らしいところにしてみせます!」
そういった誓いを立て,彼は悟りを開くべく修行をするとともに,極楽浄土をどこよりも素晴らしい世界にすべく頑張りました。そして,ついに彼が悟りを開いて「阿弥陀如来」という名前に変えて,極楽浄土を治める存在となったのです。
そんなわけで,極楽浄土はどこよりも素晴らしい世界となったのです。
2−3 極楽浄土はどう素晴らしいのか?
では,具体的に,極楽浄土はどのように素晴らしいのでしょうか。
結論から言うと,以下に説明するように,素晴らしさの方向性は二つあります。①悟りを開くための設備の充実度という意味の素晴らしさと,②快適性という意味の素晴らしさです。以下具体的に述べます。
2−3−1 ①悟りを開くための設備の充実度
突然ですが,どうすれば悟りを開けるのでしょうか。
経典によって異なりますが,一つの答えは,「多くの仏を供養する(祈るといった意味)」こと。
ですからその前提として,阿弥陀如来以外にもたくさんの仏に触れる機会がなくてはなりません。
そんな観点から見たとき,極楽浄土は素晴らしい場所です。
まず,極楽浄土には,他の世界にいる仏様が説法をする声を聞くことができる装置があります。高性能集音器的なものでしょう。
また,極楽浄土には,他の世界を自由に見ることができる装置があります。高性能双眼鏡的なものでしょう。
さらには,極楽浄土には,他の世界の仏に会うために,他の世界を自由に移動することができる装置もあります。どこでもドア的なものでしょう。
これらの装置を使うことによって,他の世界の多くの仏にいつでも接触することができますから,それだけ悟りを開くのも簡単になります。
ということで,極楽浄土は,悟りを開くための設備の充実度という意味で素晴らしい世界なのです。
2−3−2 ②快適性
極楽浄土は,快適性という意味でも素晴らしいです。
まず,極楽浄土は,金銀財宝で至るところが飾り付けられています。
また,極楽浄土に行けば,人はみな美形になることができます。
さらに,極楽浄土に行けば,悪口などを聞こえなくするような装置があります。高性能AirPods的なものでしょう。
ということで,極楽浄土は,快適性という意味で素晴らしい場所なのです。
2−4 往生極楽(=死んだ後に極楽浄土に行くこと)はスタートでしかなかった
ここまでの説明を聞いて,疑問に思われた方もいるかもしれません。「極楽浄土は悟りを開くための設備が充実している」ということは,往生極楽(=死んだ後に極楽浄土に行くこと)だけでは悟りは開けないのか。極楽浄土というのは,悟りを開いた人間が行く場所ではないのか。こんな疑問でしょう。
結論から言うと,その通り。
極楽浄土は,本来,悟りを開くための場所です。ジムに入会して終わりでないのと同じように,人々は,ここに行って悟りを開くためにさらにがんばり,悟りを開きます。これこそが最終ゴールです。
ですから,極楽浄土に行くことは,あくまでスタートでしかなく,ゴールではないのです。
しかし,時代が経つに従い,上記「②快適性」の方が強調されるようになりました。極楽浄土があまりに快適な場所であるために,極楽浄土に行くことこそが最終ゴールのように考えられるようになってしまったのです。
最初はマッチョになることが目標だったのに,次第にゴールドジムに入会することが目標となってしまったようなものです。
2−5 往生極楽の方法
では,その極楽浄土はどうすればいけるのでしょうか。
方法はとても簡単。「心から極楽浄土に行きたいと願い,南無阿弥陀仏と10回くらい唱える」これでOKです。
「え,そんな簡単なの?」と思うかもしれません。はい,こんな簡単です。
そして,これも阿弥陀如来の配慮です。修行時代,阿弥陀如来は師匠に対してこう誓いを立てています。
「極楽浄土に行きたいと願って,10回くらい僕の名前を唱えてくれた人は,基本的にみんな僕の世界に来てOK!」
なので,皆さんも,心から極楽浄土に行きたいと願い,10回くらい南無阿弥陀仏(「南無」とは,「帰依します」という意味。)と唱えれば完了。あとは,皆さんが亡くなる時,阿弥陀如来が極楽浄土からシャバに迎えにきて,皆さんを極楽浄土に連れて行ってくれます。
2−6 補足
以上の説明は目から鱗のようなところも多かったと思います。特に,極楽浄土にはどこでも自由に移動できる装置があるといったあたりの説明は「何いってんの?」と思われたかもしれません。
しかし,経典には本当にそう書かれているのです(ブログの方針ゆえ,多少のデフォルメはご容赦ください)。
今まで書いたことは『無量寿経』というお経の話を元にしています。このお経が作られたのは今から2000年ほど前の紀元前後の頃とされています。そんな昔にこれほどの発想力があったのは,本当に驚きですね。
3 最後に
以上が極楽浄土の説明でした。
次に,いよいよ本論として,その世界のオーナーである阿弥陀様について説明します。
・・・が,長くなったので,極楽浄土を説明したところで,今日はおしまいにします。
続きは別の記事に書きます。そこでは,この阿弥陀如来が超ストイックであったことなども説明しますから,楽しみにしておいてください。
それでは!