千手寺 – 極楽浄土信仰の千手観音
今日は,大阪府東大阪市にある千手寺(せんじゅうじ)について説明します。
1 千手寺の概要
1−1 極楽浄土とは
突然ですが,大乗仏教には極楽浄土という考えがあります。極楽浄土というのは,阿弥陀如来というお釈迦様以上にすごい仏(なお,「お釈迦様以上にすごい」というのは僕が勝手に言っていることではなく,経典の中でお釈迦様自身が言っていることです。)が主催する豪華絢爛な世界のこと。この世界(=娑婆(しゃば))の遥か西の方角にあると考えられていました。
1−2 極楽浄土と生駒山西麓の関係
千手寺は生駒山の西麓にあるのですが,生駒山というのは,奈良の都の人々にとっては都の西に位置する高い山。この時代の人は,生駒山の向こう側(=西)には極楽浄土が広がっていると信じていたようで,生駒山西麓には,この信仰に由来するお寺がたくさん作られました。
その信仰から奈良時代頃に創建されたのが,この千手寺ということになります。
1−3 千手寺の本尊
千手寺の本尊は,お寺の名前の通り千手観音です。
千手観音は,阿弥陀如来の使いとして,極楽浄土から娑婆にやって来て,人々を極楽浄土に連れて行く(これを往生極楽と言います。聞いたことがある方もいるのでは?)役割を持っています。上記の生駒山西麓における極楽浄土信仰にはぴったりの存在なのです。
2 千手寺の見所
2−1 作者など
千手寺の見所は,本尊の千手観音立像です。
この千手観音立像は,運慶の流れを汲む南北朝時代の仏師「康成(こうせい)」という人物によって作られたもので,観音様にしてはやや厳しい目をしていることが特徴です。
2−2 北朝と南朝の両元号が併記された仏像
さて,この千手観音像が面白いのは,その学術的重要性にあります。
平成の初め頃,この仏像が補修工事に出された際,つぎはぎとなっているこの仏像が解体されて,内部が調査されました。
そうしたところ,中に書かれていた墨書(仏像の内側には,作者とか制作年代とかその他の願いなどを書くことがよくあります。)に「正平」と「延文」という元号が併用されていたのです。「正平」というのは南朝の元号で,「延文」というのは北朝の元号です。
当時の学界では,世間では基本的に北朝が正当であるとみなしており,それゆえ世間では北朝の年号を使うものであると考えられていたそうですが,この仏像における記載を見て,当時の人は北朝のみならず南朝も尊重していたらしいことが明らかになったそうです。
仏像というのは,単に宗教的な魅力のある存在であるのみならず,貴重な歴史資料でもあるということにあらためて気付かされます。
3 拝観方法
私が訪問したときは,お寺に付属している家のインターホンを押して住職の方にお堂の開錠をしてもらいました。また,拝観料はかかりませんでした。
4 (失礼ながらの)おすすめ度
★★☆☆☆(2/5)
5 最後に
今日は千手寺の千手観音について説明しました。小さなお寺ですが,良い千手観音があります。時間があれば,ぜひ行ってみてください。
それでは!