山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

霊山寺−奈良市の西端にあるお寺

今日は、奈良市の西の端にある霊山寺(りょうせんじ)について説明します。

 

場所ですが、近鉄奈良線富雄駅が最寄りです。

しかし、駅からは2キロ半ぐらいありますので、公共交通機関で行く場合は注意です(バスがあるらしいです)。

 

このお寺に行ってまず驚くことは、入り口に大きな鳥居があることでしょう。

 

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ですが、実はこの鳥居は昭和の初めになって設置されるようになったものであり、歴史があるわけではありません。

 

きっかけは、同じく昭和の初めにこのお寺に大弁財天(弁天様のことです)をお祭りするようになったことにあります。

 

もちろん、これまでの本尊などを撤去をしたと言うようなことではなく,あくまで弁財天を付け加えた、ということです。

 

弁財天という尊格は、本来は仏教における天部の一つなのですが、神仏習合の流れの中で、神様としてもお祭りされるようになりました。

 

そのため、弁財天をお祭りするようになった昭和の初めに、合わせて鳥居を建てるようになったのです。

 

よく、霊山寺は「入り口に鳥居がある珍しい寺院」などと説明されます。

 

しかし、このような鳥居設置の経緯からも分かるように、鳥居はそんなにフィーチャーされるようなものでもないでしょう。

 

さて、次にここのお寺の由来を簡単に説明します。

 

創建は行基です。東大寺の造営を頑張ったあの僧侶ですね。

 

その行基が、当時まだ建てたてのこのお寺に菩提遷那(ぼだいせんな)というインドから来日した高僧を招きます。

 

この菩提遷那とは、東大寺の大仏がついに完成したあと、その大仏に目を入れる(開眼供養(かいげんくよう))という一大セレモニーのために日本に呼ばれた僧侶です。

 

行基東大寺の造営を司っていたので、菩提遷那が日本に来たときに、港でお出迎え役になっていました。

 

その時、行基と菩提遷那は「どこかで会ったことがあるような気がする」と同時に発言し、いきなり仲良くなったらしいです。

 

だから、行基は菩提遷那をこのお寺に招くことができたのでした。

 

すると菩提遷那は、このお寺が故郷インドにある霊鷲山という聖なる山に似ているとのことから、「霊山」という名前をつけました。

 

由来はこんなところです。

 

最後に、このお寺の見所を説明します。

 

それは本堂です。

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この建物は鎌倉時代に改築されたもので,国宝に指定されています。

 

特徴は,木鼻という部分が動物のデザインとなっていることでしょう。なお,これは係員が言っていたことですので,たまたま私が動物のように見えたというわけではありません。

 

木鼻というのは聞き慣れないかもしれませんが,柱を組んだときにちょっと余る部分のことです(写真を撮り忘れたため,下記図参照。変な図ですみません。)。

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これが見所だと思うのは,単に私の勉強不足なだけかもしれませんが,木鼻が動物のデザイン(例えば,象,獏)になるのは,江戸時代以降の建物に多いイメージがあり(例えば,日光東照宮),鎌倉時代の建物にこのようなデザインを採用している例を他に知らないからです。

最後に霊山寺の本尊についてです。本尊は薬師如来です。しかしこれは秘仏のため、普段は見ることができません。

 

通例として、正倉院展が開かれる頃に合わせて開帳されるとのことです。つまり,毎年10月終わり頃から11月初め頃の開帳ということになるのでしょう。

 

ということで,今日は霊山寺について説明してみました。

 

奈良観光でもちょっと優先順位は下がりそうな場所ですが,時間があれば是非行ってみてください!

 

それでは。