山田大雅の仏像ブログ

仏像好きがお寺や仏像などについて解説します。

相国寺ーなき龍・八方睨みの龍がいるお寺

今日は,京都市にある相国寺(しょうこくじ)について説明します。

1 相国寺概要

相国寺を一言で言えば「室町幕府御用達のお寺」となるでしょう。そう言える理由は下記1−1から1−3の通りです。

1−1 創建

相国寺は,足利義満が1392年(南北朝が合一したのと同じ年です。)に建立した臨済宗の寺院です。

ちなみに「相国」とは,「国を相ける(たすける)」という意味。当時の足利義満左大臣の地位にあったのですが,左大臣の中国風の呼称は「相国」です。つまり、お寺の名前自体が義満の寺であることを物語るのです。

1−2 位置

足利義満は京都室町の地に花の御所(足利義満の私邸)を造営した人物。

この花の御所は,今相国寺がある場所のすぐ西にありました。幕府附属施設のような立地です。

1−3 七重大塔

さらに足利義満は,相国寺境内に高さ109.1メートルの七重大塔という壮大な建物を建てました。この塔は建立から10年ほどですぐに火災で焼失してしまいますが、近代まで日本一高い建物でした。

時の権力者は、自らの権力を誇示する奇抜なものを作ることがよくあります。聖武天皇の大仏、織田信長安土城などは良い例です。

義満による七重大塔もこの文脈で捉えることができます。こんな塔を境内に造ることからも、義満が相国寺にかけた思いの強さがわかります。

2    見所

次に相国寺の見所を説明します。見所は法堂(はっとう。禅宗寺院において,僧侶が講義を受けるお堂をいいます。)です。

2−1 法堂の概要

相国寺は,足利義満による創建以来何度も火災にあっています。今ある法堂は,1605年に徳川家康の命令によって豊臣秀頼が寄進したものです。江戸時代というと結構最近のように思えますが,これでも日本の法堂建築の中では最古のものとなります。

天井には,狩野永徳の長男である狩野光信(みつのぶ)により蟠龍図(ばんりゅうず。うねる龍のこと。)が描かれています。ちなみに,法堂の天井に竜の絵を描くことは禅宗寺院でよく行われることですが,これは龍が雨を司ることにちなみ,火除けの願いを込めてのものです。

2−2 なき龍

この法堂の中心付近で手を叩くと,天井から「ビビビーン」という弦を弾いたような音が聞こえます。あたかも龍が泣いているようであることから,これをなき龍といいます。日光東照宮が有名かもしれません。

なき龍の仕掛けは,天井の「むくり造」にあります。むくり造というのは,天井をパラボラアンテナのように少しドーム型にする工法のこと。これによって,天井に当たった音が中心付近に集中し,大きな反響音を発しているとのことです。

ただし,むくり造の本来の目的は経年による天井の部材のたゆみを防止することで,当初からなき龍をも同時に意図して作られたかはよくわかっていません。例えば日光東照宮では,なき龍が発見されたのは20世紀に入ってのことですから,建築当時からなき龍を意図していなかったことは明らかです。

2−3 八方睨みの龍

天井の竜を見ながら法堂内を歩き回ると,龍が首を常に自分の方に向けて追いかけてくるようにみえます。これを八方睨みの龍といいます。

この仕組みは逆遠近法にあります。逆遠近法については詳しく知りませんが,ネットによると,近くのものを小さく描き,遠くのものを大きく描く技法とのこと。この龍に即していうと,近くにある竜の頭部を,胴体に比して相対的に小さく描いていることになります。これによって,龍の首が追いかけているように見えるそうです。

そのメカニズムについては,調べましたが詳細な説明はありませんでした。ただ,一応参考になるかもしれないものとして,逆遠近法を使った立体画像が,どの角度から見てもこちらを追いかけてくるように見えるYouTubeの動画がありましたので,以下にURLで紹介します。ただし,こちらは立体画像である一方で,相国寺の龍の方は平面図ですから,両者のメカニズムが共通であるかについては自信がありません。間違っていたら申し訳ありません。

https://www.youtube.com/watch?v=8c_J99t0aKE

3 最後に

ということで,今日は相国寺について説明しました。相国寺には法堂以外にも,枯山水の庭園を持つ方丈(住持の方が住んでいた建物)など見所があります。ぜひ拝観してみてください。

ただし,相国寺の法堂などは,毎年3月中旬から6月初旬及び9月中旬から12月中旬しか公開していないので,注意してください。

それでは!